威守松山・大源太山

2017年7月15〜16日(日) 参加者:6名 宿泊費と交通費合計9700円

  • いずれも急登の続く、上越国境周辺の山を歩いた。
  • 珍しい花も見られてうれしい山行だった。
  • 大源太山から謙信ゆかりの道周回は、天候不安もあり次回の課題となった。


7/15(土)  登山口10:30-山頂・昼食11:50~12:50登山口14:15

 石打ICで高速道路を降り、巻機山の登山口に近い清水集落を目指して進みました。
 威守松山という何とも偉そうな山名の由来の議論をしながら進みます。と言っても殆どO氏の独演会。O氏が言うには、巻機山の番兵だというのです。しかし、江戸時代は、巻機山よりも、威守松山の方が重要な山だったはずです。上杉謙信は、清水集落から謙信の道を通って何度も行軍しているのです。そして、威守松山の本当の名前は衛門尉(エモンジョ)らしい。清水集落を開村した阿部衛門尉(アベノエモンジョ)からつけられた様です。
 登山口は、穏やかな草道、ちょっと行くと急登が始まります。少し傾斜が緩んだ所の台地に寺跡の標識。こんなところにお寺?と思いながら、またまた急登。一息ついたころに尾根に上がりました。今日は時間が有るので、大休止。Mさん持参のさくらんぼを皆で頂く。緑が美しい。
 其のあとも急登になったり、平坦になったりしながら山頂に到着。この山は、明日登る大源太山が日本のマッターホルンと納得するのと、登高意欲を湧き立たせる筈でしたが、何処の山も雲の中。宿に入れる時間にはまだ早いとのんびり。時間を見て下山しました。


7/16(日)  旭原登山口8:23ー渡渉点8:39ー第二渡渉点9:00ー休憩10:19/10:31ー大源太山着11:40/12:10ー休憩13:35/13:46ー渡渉点14:04ー渡渉点14:25ー旭原登山口14:36

 やまご民宿から1時間くらいで旭原登山口に到着。天気は、曇り。天気予報は、12時から雨の予報。こんな日でも、登山口には、3台の車が既に停まっていた。暫くは、平坦な優しい登山道。一本目の沢を渡る。ロープが渡してある。渡ったところに、一本のショウキランが咲いていて、私は小躍りしてしまった。滅多に出会えない花だ。
 さらに、沢沿いの道を暫く行くともう一本の沢が現れる。沢の水量が凄い。私は大きな岩を飛び越える自信が無いので恐る恐る渡った。
 沢が過ぎてからは急登に次ぐ急登。ロープが所々に下げて有る。苔の生えた登山道。スリップに注意して登ると稜線にでた。雨が降ってきた。止めようか、行こうかと相談した結果、山頂までは行こう!という事になり、出発。周りの木々が小さく成って草原が現れて、ニッコウキスゲもちらほら。やっぱり登って良かった。さっきまで、蒸し暑くってたっぷりと汗をかいた体の中を、涼風が吹き抜けて気持ち良い。
 山頂で、昼食を食べてから、雨になりそうなので、七つ小屋山は行かず、登ってきた道を降りることに成った。この時期の新潟の山は本当に暑い。次回は、紅葉の頃がお勧めとおもいました。

Script by O. and Photo by O.

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