秩父観音三十四ヶ所めぐり結願

2022年01月16日(日) 参加者:10名 

行程
 西武秩父駅8:25=秩父鉄道秩父駅8:32=泉田バス停9:06ーようばけ9:26〜38ー33番「菊水寺」10:03〜20ー井上伝蔵墓11:11〜16ー椋神社11:36〜12:14ー龍勢会館前12:26ー平石馬頭尊12:45ー双体道祖神12:59ー札立峠登り口13:25〜32ー札立峠14:07〜12ー34番「水潜寺」14:47〜15:02ー秩父華厳の滝入口バス停15:20ー華厳の滝15:25〜31ーバス停15:35

 春浅い秩父路の気温は氷点下5度。さすがにまだ道端に花は無い。それでも無風快晴の巡礼古道の峠越えは、うっすらと汗ばむ。札所34ヶ所すべてを廻り切り帰路のバスの車窓からは、満月に少し欠ける月があたかも私達を祝福して、微笑んでいる様に見えた。私に絵画の才が有るならば美しい山水の画になる様な光景である。

 秩父駅から栗尾行きのバスに乗り泉田のバス停で下車して、初めに「ようばけ」という褶曲地層がむき出しになっているところに行った。1500万年前の秩父周辺は海だったという事で海の底に堆積した沈殿物が隆起して地上に現れたものだという。岩石を割ると貝化石が出て来るというから面白い。
 次に行ったところが33番の菊水寺である。境内に人影は無くひっそりとしていた。
 旧吉田町(現秩父市)は明治17年(1884年)に貧困に喘ぐ農民達が武装蜂起した秩父困民党事件に纏わる史跡が多い。取りまとめ役の井上伝蔵一族の墓や困民党が集結した椋神社等である。彼らのとった行動の是非は後世の人達が判断する事だと思うが、いつの時代も貧富両層に分かれてしまうのは歴史の事実の様である。椋神社の境内で昼食を摂った。皆で雑談をしながらの食事はいつも楽しい。
 そして今回の巡礼道最難関は札立峠越えである。吉田町側からは前方に小高い山が屏風の様に連なっていて実際の標高より高く見えた。しばらくは車道を歩き、いよいよ山路に入るところに古巡礼道の案内が有り、ここから登りっぱなしの山路が始まる。30分程で峠に立つ事が出来たが峠からの展望は無かった。そして峠から逆方向に30分程下れば最終目的地の34番潜水寺である。ここで巡礼帳の最後のページが埋まる。思えば2020年10月に1番の四萬部寺の参拝から始まり実に15ヵ月を費やして、ここに辿り着いた事は万感の思いが胸に迫って来るのであった。
 先達のK氏の緻密な計画と、その実行力に敬意と感謝を申し上げるのと同時に、その趣旨に賛同して同行して頂いた山仲間の皆さんにも同様に御礼を申し上げる次第である。
 バスの時間待ちを利用して秩父華厳の滝を見学した後、皆野駅前の吉見屋さんで極上のうなぎを食しながらの打ち上げ式は実に楽しい宴会であった事を付け加えて「秩父札所巡り完歩」の筆を終りにしたいと思う。
 秩父巡礼に参加された皆様、本当に有難うございました。

Script by On. and Photo by K. and Or.(Or.)

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