2024年7月26日(金) 参加者:5名
行程
武蔵浦和駅前(6:30)=桟敷山登山口駐車場(10:30)-桟敷山山頂❲昼食❳(11:30)-展望台-地図に無い小桟敷山方面分岐-小桟敷山山頂-小桟敷山登山口-桟敷山登山口駐車場(13:53)=信濃追分宿別去れの碑=武蔵浦和駅《解散》
武蔵浦和駅前を定刻通り出発したが、下道はいつに無い渋滞で東松山から関越道に乗る迄に二時間かかってしまった。関越道に入ってからはスムーズに進み10時半前地蔵峠を越え桟敷山登山口駐車場に着いた。 名残のアヤメ、山オダマキが咲く登山口から桟敷山を目指す。道端にはシャジクソウ、笹原からはシモツケの花が顔を出している。登山道は綺麗に刈払いがされている、周期の長いジグザグを切って山頂へ向かう、とても歩き易い道だ。
爽やかな風の中、一汗かいた所で桟敷山山頂に着いた。
北東方面に大きく展望が開けた山頂からは、目の前に四阿山が鎮座する、左に根子岳、右奥に本白根山だろうか、万座方面が臨まれる、東側後方には噴煙をあげる浅間山が手に取るようだ。とにかく素晴らしい眺望だった。
山頂で展望を楽しみながらゆっくり昼食をとった後、徒歩10分程の展望台へ向かう。こちらは山腹の急斜面に大岩が飛び出したような場所だ。畳二畳分程のスペースがある。ここからは北八ヶ岳蓼科山方面の眺望が素晴らしかった。
桟敷山山頂からの道、展望台手前に山地図に無い分岐があった。小さな木札があり小桟敷山を示している。地図上の小桟敷山分岐はもっと下だ、現に先ほど通過してきた。当然私たちは地図に無いこの道を選んだ。
この道はまだ新しい道のようだ、綺麗に刈払いされているが、かなりの急斜面だ。道に沿ってグリーンのロープが張られている。しばらく急斜面をロープ頼りに降りれば、緩斜面帯に入る、ここは苔むした大岩ゴロゴロの針葉樹林帯で、まるで北八ヶ岳のようだ。その後下から上がってくる本道と合流し小桟敷山山頂へ向かった。
小桟敷山山頂は小広く笹が刈られてはいるが、展望はなかった。陽射しは強いが、木陰は爽やか、暫しのお茶タイムとなった。
下山路も足に優しい落葉松の絨毯の道で、伊吹ジャコウソウ咲く小桟敷山登山口に下山した。
今回も花に詳しい女性陣から、花の名前を多数ご教授頂いたが、カメラには収めたものの、名前は翌日ほとんど忘れてしまいました。申し訳ありません。
桟敷山下山後、信濃追分宿の分去れの碑見学に向かう。
かつて昭和初期、夭逝した天才詩人立原道造が、甘く切ないソネットの中で歌い込んだ場所だ。
分去れ自体は、
『さらしなは右
みよしのは左にて
月と花とを 追分の宿』
と、古くより歌われていたらしい。
道造は、その詩の中で、
『咲いているのは みやこぐさ と
指に摘んで 光にすかして教へてくれた -
右は越後へ行く北の道
左は木曽へ行く中仙道
私たちはきれいな雨あがりの夕方に ぼんやり空を眺めて佇んでいた
・
・ 』
と、歌い上げている。
今回、リーダーに無理なお願いをして、この分去れの碑に立ち寄って頂いた。
Kiリーダー、ありがとうございました。
お付き合い頂いた皆様、ありがとうございました。
武蔵浦和駅前(6:30)=桟敷山登山口駐車場(10:30)-桟敷山山頂❲昼食❳(11:30)-展望台-地図に無い小桟敷山方面分岐-小桟敷山山頂-小桟敷山登山口-桟敷山登山口駐車場(13:53)=信濃追分宿別去れの碑=武蔵浦和駅《解散》
武蔵浦和駅前を定刻通り出発したが、下道はいつに無い渋滞で東松山から関越道に乗る迄に二時間かかってしまった。関越道に入ってからはスムーズに進み10時半前地蔵峠を越え桟敷山登山口駐車場に着いた。 名残のアヤメ、山オダマキが咲く登山口から桟敷山を目指す。道端にはシャジクソウ、笹原からはシモツケの花が顔を出している。登山道は綺麗に刈払いがされている、周期の長いジグザグを切って山頂へ向かう、とても歩き易い道だ。
爽やかな風の中、一汗かいた所で桟敷山山頂に着いた。
北東方面に大きく展望が開けた山頂からは、目の前に四阿山が鎮座する、左に根子岳、右奥に本白根山だろうか、万座方面が臨まれる、東側後方には噴煙をあげる浅間山が手に取るようだ。とにかく素晴らしい眺望だった。
山頂で展望を楽しみながらゆっくり昼食をとった後、徒歩10分程の展望台へ向かう。こちらは山腹の急斜面に大岩が飛び出したような場所だ。畳二畳分程のスペースがある。ここからは北八ヶ岳蓼科山方面の眺望が素晴らしかった。
桟敷山山頂からの道、展望台手前に山地図に無い分岐があった。小さな木札があり小桟敷山を示している。地図上の小桟敷山分岐はもっと下だ、現に先ほど通過してきた。当然私たちは地図に無いこの道を選んだ。
この道はまだ新しい道のようだ、綺麗に刈払いされているが、かなりの急斜面だ。道に沿ってグリーンのロープが張られている。しばらく急斜面をロープ頼りに降りれば、緩斜面帯に入る、ここは苔むした大岩ゴロゴロの針葉樹林帯で、まるで北八ヶ岳のようだ。その後下から上がってくる本道と合流し小桟敷山山頂へ向かった。
小桟敷山山頂は小広く笹が刈られてはいるが、展望はなかった。陽射しは強いが、木陰は爽やか、暫しのお茶タイムとなった。
下山路も足に優しい落葉松の絨毯の道で、伊吹ジャコウソウ咲く小桟敷山登山口に下山した。
今回も花に詳しい女性陣から、花の名前を多数ご教授頂いたが、カメラには収めたものの、名前は翌日ほとんど忘れてしまいました。申し訳ありません。
桟敷山下山後、信濃追分宿の分去れの碑見学に向かう。
かつて昭和初期、夭逝した天才詩人立原道造が、甘く切ないソネットの中で歌い込んだ場所だ。
分去れ自体は、
『さらしなは右
みよしのは左にて
月と花とを 追分の宿』
と、古くより歌われていたらしい。
道造は、その詩の中で、
『咲いているのは みやこぐさ と
指に摘んで 光にすかして教へてくれた -
右は越後へ行く北の道
左は木曽へ行く中仙道
私たちはきれいな雨あがりの夕方に ぼんやり空を眺めて佇んでいた
・
・ 』
と、歌い上げている。
今回、リーダーに無理なお願いをして、この分去れの碑に立ち寄って頂いた。
Kiリーダー、ありがとうございました。
お付き合い頂いた皆様、ありがとうございました。
Script by Ko. and Photo by Ki.
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